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The spirit of SUBARU スバルのクルマ造りの原点

このブログを書いたのは13年前のことだ。

再びその思いを噛み締め、
思いを甦らせよう。

常に「The spirit of SUBARU」を、
胸に抱いて仕事を続ける。
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その頃、
この紋章は当たり前だった。

スバルは堂々と胸を張ったが、
その「出自」の具体性には、
いささかトーンダウンしたものだ。

戦後の教育のせいだろう。
以前からSUBARUに守って欲しい、
「3つの願い」を持っていた。
Spirit 1
主駆動輪と共にエンジンを置き、効率よく動力を伝達する。
→飛行機の発動機とプロペラの関係と同じ考え方でクルマを造る。

Spirit 2
プロペラシャフトを付けるなら全て4WDにも対応する。
→世界初の乗用4WD車レオーネが誕生。パワートレーンを左右対称に設計。

Spirit 3
四輪独立サスペンションにこだわる。
→スバル360から続く操縦安定性と乗り心地の両立。
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これは平成15年の4月に、
スバル整備工房でサブロクを復元した時の様子だ。

今年はスバル誕生から50周年にあたるので、
各地で様々なイベントが繰り広げられる事だろう。

愛称をてんとう虫と刻まれ、
日本人のマイカーとして浸透してから、
長い年月が過ぎ去った。

そして1966年には、
スバルから二度目の小型車が誕生し、
製造ラインが作られ悲願の大量生産車となった。

当時のクルマと言えば、
ほとんど直列4気筒エンジンを縦置きした、
後輪駆動車(FR)ばかりだった。

そこに「スバル1000」が燦然と現れたのだ。
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道路状況が悪くなると、
すぐ馬脚を露す当時のクルマに比べ、
スバル1000は抜群の走行性能を発揮し、
特に滑りやすい雪道では、
目を見張るような安定性を示した。

当時からスポーツセダンを作った事も、
絶対に忘れてはいけない事実だ。

昭和42年11月1日は記念すべき、
スバル初のスポーツセダン誕生の日でもある。

ところで昭和33年3月3日が「てんとう虫」の誕生日で、
3の連続に何か韻を感じるが、
1の連続する昭和42年11月1日も、
同じような韻なのだろうか。

当時の開発者たちは、
間違いなく意識していたはずだ。

だからSTIのスポーツモデルは、
スバル1000のスポーツをルーツとする。

何か拘りを感じ理由は、
あえてSシリーズから奇数を外しているからだ。

111に333に555と、
スバルは奇数の三文字組み合わせが大好きな会社だ。

ちなみに、
「サブロク」の型式は「K111」だ。

それに対して、
STIはコンプリートに対して、
絶対に頭を奇数にせず2から始まる。

22BからS201へと繋がり今も続いている。

そしてその上も401から402に続いた。
この系譜も途絶えてはいるが消えたわけでは無いはずだ。

STIの復活に期待したい。

昭和40年代には2ドアセダンと言うカテゴリーが、
どこのブランドにも当たり前のように存在した。

スポーツといえば、
2ドアが当たり前だったのだ。
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スバル1000はマイナーチェンジを重ね、
FF-1という次のシリーズにバトンタッチされた。

そして次に「スーパーツーリング」が誕生し、
それは通称「ST」呼ばれ人気を呼んだ。

単なるグレードのようだが、
実は初めて「4ドアスポーツ」が誕生した瞬間だった。

「スバル1000シリーズ」の最終形態、
「1300G Sport」を大切に保存する訳は、
このシリーズ最強であり、
日本アルペンラリーでクラス優勝した実績を誇るからだ。

スバルは4輪駆動を作る前から、
とても雪道に強かった。

この1300Gは子供の頃に憧れた、
強いスバルの象徴で、
実はもっと欲しかったのは「FF1 1100sport」の黄色だ。

なかなか入手が困難だったが、
たまたま当時の廃車置き場に、
シャンパンゴールドの「4ドアGL」が放置されていた。

スクラップにしないよう拝み倒し、
免許証を手にする日を夢見た。

実際に免許を取っても、
復活させる事は困難を極めた。

何年か経ち耳寄りな情報が届いた。
名古屋スバルの本社に、
フロントを損傷した1300Gスポーツが現れ、
処分するから良ければ渡すと連絡があった。

今でもその姿を良く覚えている。

今では統括会社の名のもとに、
豪勢なビルが建っている場所だ。

フロントフェンダーの右を破損した、
黄色い2ドアスポーツだった。

そのクルマをリファインすることは考えなかった。
スクラップになる運命だったので、
エンジンとフロントサスペンション、
ブレーキやメーターまで、
全て大事にしていた4ドアGLに載せ替えた。

それがこのクルマだ。
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学生時代には東京で一緒に暮らし、
当時デビューしたばかりのソアラなど、
名だたる車にシグナルグランプリを挑み、
かなりの確率で勝利を重ねた。

東京はその頃騒然としていた。

狐が憑依したと言われタ日航機の機長。

金の亡者がホテルを買収し人命を軽視した都会の有名ホテル。

大きな事件が起きると、
連鎖したように次の事件が立て続けに起きた。

FFとFRの差は、
当時の技術的レベルでは、
低μ路における走破性で圧倒的に現れた。

当時のレベルのタイヤだと、
FRだとトラクションが掛かりにくく、
姿勢も安定しない。
結果的に速度も上がらない。

ブレーキングでも、
FRは脆さを露呈した

だからのスバリスト達はFRという駆動方式を一段低く見下ろしていた。

その結果スバルは自社ブランドにおける、
FRの誕生を目指す土壌そのものを作らなかった。

言い換えれば既存の技術の焼き直しでは無く、
独創の道を歩むポリシーを守ったに他ならない。

あのポルシェでさえ、
過去に928の投入で大失敗した。

でも頼まれたとしたら話は別だ。

トヨタがスバルにそれを作って欲しいというのなら、
いつでも作って差し上げる技術はある。

スバルには世界唯一の、
乗用車用水平対向4気筒エンジンがある。

以前からそれを最大活用すれば、
良いFRが出来ると思っていた。

何年か前にカー雑誌で、
水平対向2リッターDOHCのNAを、
前輪に動力を伝達させないように改造して、
インプレッサセダンに搭載したことがあったけど、
それは面白半分で終わってしまった。

理由は簡単で、
フロントアクスルがそのまま残っていては、
重量配分が酷くてつまらない車になってしまう。

スバルブランドは、
「ザ・スピリット・オブ・スバル」に基づく。

それに育まれている以上、
まずどこにも無いモノを創造し、
普通車から軽トラに至るまで1本の筋がピシッと通らねばならぬ。

発動機(エンジン)と駆動輪を、
まず同位置に置き効率を高め軽量化する。

これを重視することが、
飛行機作りを原点とする証明だ。

だから、
プロペラシャフトを付けるなら、
いっそのこと全輪駆動にしてしまえ!・・・となるるのだ。

クルマには必ず4輪独立のサスペンションにするのも、
安定性を高めるので結果的に効率も高まる。

こらを総じて「ザ・スピリット・オブ・スバル」なのだと、
忘れないでいて欲しい。
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ルーツがはっきりしており、
これらは普遍的真実だ。

大きなメーカーに較べたら、
わずかな生産量しか持たないスバルだが、
クルマ好きの理解を集める魅力あるブランドだ。

ピリッと辛くて、
夜空に光リ輝くメーカーは、
いつまでも独自性を武器に活躍して欲しい。

2008年2月17日 13時59分の投稿記事を振り返る

Commented by わかおin尾張旭 at 2008-02-22 20:19
流行やトレンドに過剰に流されず、自分の「核」を持つことって、本当に重要ですよね。仕事柄、本当にそう思うときが多いです。
今回のブログ(とかわら版)の記事を見て、心からそう思います。
「ピリッと辛くて、光り輝く」
流行り廃りのサイクルが短いこのごろ、ずっと続けられる「何か」を訴えて実践していくことができる企業や個人は、この先を乗り越えて行くことが出来るのでしょうね。
また、おうかがいしまーす♪
Commented by toshi at 2008-02-23 09:36
わかおさん、御久し振りです。
スバルからは、より狙いを絞った戦略商品が、
ドンドンこれからも発売されます。

我々も日本の文化にもう少しシフトして
的を絞りながら
自動車文化の一翼を担いたいと思っています。

今日はこれから名古屋で、
友人でもあり、後輩でもあり、
尊敬すべき新聞記者として活躍中の
H君の結婚式に行ってきます。

夫婦で招かれたのは、
このブログにも載せた、
平成18年の春以来なので、
しっかり若さに触れてこようと
思ってます。

また遊びに来て下さいね。
Commented by SVX360 at 2008-04-10 23:24
初めまして。
本日10日のトヨタの出資比率アップと軽自動車の段階的な撤退。
軽自動車から始まったといっても過言ではない、スバルが軽四から撤退するのは悲しいです。
段階的に最後に残るのはサンバーだとは思われますが、このサンバーだけはなくしてほしくないですね。
スバルの四輪独立懸架、直4エンジン、シャシーフレーム、まさにスバルの味がたっぷり詰まってますから

なんとか、サンバーだけでもどうにかならないんですかね?
その他の軽四はコストが命の時代なんで仕方はないですが、堅牢性がモノをゆう軽トラ&1BOXは話が違うと思いますので・・・

と、もうどうにもならないであろうことですが。お話はさせていただきました!
Commented by スバリスト555 at 2008-04-12 10:24
スバルが生きがいのバリバリのスバリストです。

今もGC8に乗らせてもらってマス^^;



ニュースで見ました。

富士重工の軽自動車からの撤退とトヨタとの提携・・・

スバリストとしては「トヨタ」というのがショックでした...


それと、
スバルの軽自動車は評価は高いのに売れない・・・
売れなきゃ仕方ないのでしょうが、
やはりさみしいですね・・・

トヨタと小型スポーツカーを作る、とありましたが
トヨタと組んで造っても売れないと思うのは私だけでしょうか・・・?
Commented by b-faction at 2008-04-13 10:44
SVX360さん。
コメント有難うございました。
サンバーは僕たちの原点です。
なくならないですよ。

あくまで生産を止めるだけで、
販売から撤退するわけでは無いですね。

おっしゃる通りだと思います。

このプロジェクトは、相当奥が深いので
そんなにショックを受ける必要はありません。
大丈夫です。
Commented by b-faction at 2008-04-13 10:51
スバリスト555 さん
おはようございます。
僕もトヨタのクルマはスキじゃないです。
もちろん、SUBARUがトヨタのようになっては困ります。
ただ、組む相手としたら、悪い相手でしょうか。
冷静に見る必要があります。

これまでも、多かれ少なかれ製造面では日産といすゞ。
販売・開発面ではGM、日産、鈴木、ボルボ、ポルシェと組んでます。

どれもあまり上手く行ってないですね。

今回はその頃の提携と、
かなり意味が違うような気がしてなりません。

スポーツカーはもちろん楽しみですが、
それ以上に大切な何かがこの奥にあります。
そんな気がしてますが。
Commented by 美のつぼです at 2015-03-19 20:52
そのタオルのエンブレムをレックスに 付いてたのが 今欲しいですね
Commented by b-faction at 2015-03-19 21:01
美のつぼさん、エンブレムが付いているのはイベント用のテントです。懐かしいでしょ。毎年使うおなじみの備品です。
Commented by 綾瀬の石渡 at 2021-02-05 17:48
スバルのスバルたるゆえん。語り継ぐべき内容を、ここに再登場させていただき、近年仲間に加わった者としてはありがたく、まとまった伝承をご伝授いただけました。社長と同年代である私が小学低学年生のころ、父がスバル1000を所有していたこと、もちろん自分もいつもそれに乗っていたこと、後年父が「あれはいい車だった」といっていたことに思いを馳せます。セスナ機のライセンスも取った父です、今はかないませんが、車について、乗り物について、スバルについて、もっと語り合えたらよかったのに、と思うものです。
Commented by b-faction at 2021-02-05 18:51
石渡さん、セスナ機のライセンスを持っていらっしゃったのなら、エアロスバルを操縦されたことがあるかもしれませんね。
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by b-faction | 2021-02-04 18:43 | 社長の活動 | Comments(10)

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